マックス都市伝説


カテゴリ:幕末の都市伝説

日本で初めて株式会社を設立したり、ブーツを履きこなしていたり、200年近く前の人物とはとても思えないことから今でも人気の高い歴史上の人物、坂本龍馬。

彼は1865年の長崎で貿易会社を興し、薩長同盟の成立の仲介を務め、やがては幕末のきっかけにもなる大政奉還を進めるなど、今の日本の骨格を作った偉人である。まさに、幕末を代表する人物であり、今でも多くのドラマには彼が登場しているため、日本で一番メジャーな藩士であることは間違いない。

その最期は慶応3年の11月15日。
【坂本龍馬は誰に殺された?】の続きを読む

薩長同盟の功労者にして、大政奉還の影の立役者。坂本龍馬は幕末にとって欠かせない大人物であった。

また、家族思いの面があり、姉にはこまめに手紙で近況を報告していた他、妻とはよく狩猟に出掛けて、鉄砲で獲物を仕留めては二人で食べていたのだという。

この坂本龍馬、今でこそ評価されているが、当時の日本で列強諸国と歩んで日本を豊かな国にするという考えは、荒唐無稽過ぎて、ともすれば変人扱いもされていた。いつの世も、天才とは苦労するものである。
【坂本龍馬の人物像】の続きを読む

土方歳三の作り上げた「軍中法度」は、新撰組隊士一人ひとりの行動を律するための規則が多数盛り込まれており、各々の行動はこれに基づいてなされていた、極めて重要な制度である。基本的にはご法度とされるような言動を慎むために用いられるこの軍中法度であるが、その中には奇妙な一節があることをご存知だろうか。

「一、敵、味方の強弱を比べてはならない。奇矯、妖怪、不思議についても語ってはならない。」
【新撰組の不可解な法度】の続きを読む

異国の文化が浸透し、国民の中にもちらほら洋装をする人物が増えつつあった時期の話。
江戸では、人の言葉を使う巨大なカラスの目撃情報が相次いで報告されるという事件が起きた。

ある目撃者によれば、自宅に戻ると何故か部屋の畳が傷んでおり、足跡のようなものが出来ていた。これを追いかけていくと、屋敷の奥に人間ほどの大きさの、羽のないカラスがいた。カラスは笑いながら彼のすぐ脇を通り抜け、翼がないにも関わらず、吸い込まれるように空に消えていった、とのこと。
【語りガラス】の続きを読む

フランシスコ・ザビエルは、イスパニア生まれのカトリック教会の司祭、宣教師である。彼は、イエズス会の創設メンバーの1人。バスク人。ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣され、その後、日本に初めてキリスト教を伝えたことで特に有名である。
また、日本やインドなどで宣教を行い、聖パウロを超えるほど多くの人々をキリスト教信仰に導いたといわれている。

彼は、バチカンから聖人として認定されているが、46歳でこの世を去った。そして死後、腐敗しないという奇跡を起こす。
【ザビエル聖人伝説の終焉】の続きを読む

江戸時代は、太平の世の中と言われていたが、その終盤、幕末時代に安政の大獄で数十にも及ぶ人物を処刑したのが井伊直弼だ。
この井伊直弼という人は、大老として有名な人物で、ドラマでは大抵聡明なキャラクターとして描かれる。しかし、そもそも井伊直弼という男は茶道で身をたてようとしていた人物。そのため、実は勘定方の仕事が全く分からなかったのだが、あれよあれよという間に大老になってしまったのである。

芸術家の場合、無茶苦茶なことをする人が多いのはこの頃から同じようだ。だから財源がないなら、金をいっぱい作ればいいのだという底抜けの政治をすることとなってしまった。 【井伊直弼の真実】の続きを読む

幕末の黒船来航に伴って日本に蔓延したコレラ。

その被害者は江戸だけでも数十万にも及んだ。当時は朝元気だった人物がコロッと死ぬので、コレラをコロリと呼んでいたが、原因も、明確な治療法も不明だったことから、いつしか妖怪の仕業だとされるようになった。そして、創作されたのが虎狼狸である。
名前にあるように、虎の体に狼の顔、狸の手足が合体したキマイラのような外見をしているとされていた。そのため、コレラの感染を防ぐためには不動明王の御札が最適とされ、これが多くの人々に買い求められたという。
【虎狼狸】の続きを読む

江戸三大道場のひとつ、名門心形刀流伊庭道場の跡取り息子。武闘派のボンボンである。
「伊庭の小天狗」の異名を持つほどの若き天才剣客。ちなみに沖田総司と同い年。新撰組とも非常に近しい存在であり、隊士とは友情を育んでいた。将軍の警護を任務とする遊撃隊の副長として、すでに新撰組も劣勢であった鳥羽伏見の戦いから参戦する。

のち慶応4年に山崎の戦いにて左腕を失うが、撤退戦の折には隻腕となりながらも最後尾で追撃する敵部隊と交戦。見事退けることに成功する。
【美青年剣士・伊庭八郎の生涯】の続きを読む

新選組随一の剣客にして一番隊隊長、沖田総司。
生まれ年がはっきりしておらず、天保33年説と35年説がある、稀代の天才剣士。多くの人は35年説をとるので、それによれば15歳で天然理心流目録、19歳で師範代になったということになる。

道場主の近藤勇や、同門の土方歳三らについて京都に上り、新選組結成後、倒幕をとなえる浪人たちを斬って斬って斬りまくった。また、新撰組隊士の稽古をつけるときも自ら積極的に立ち会ったとされており、その時は鬼のような態度を取っていたとされている。
【沖田総司の素顔】の続きを読む

平田篤胤は、江戸時代後期に国学者・神道家・思想家・医者である。出羽久保田藩出身で、日本で初めて妖怪の存在を大々的に提示した人物である。

篤胤は、学問をするにはまず何よりも自らの死後の魂の行方を知らなければならないと言い切った。そうして心の安定を得ることによって、初めて学問に向き合うことができるとした。

黄泉の国はきたなき悪しき国であり、そのことは逃れようのないことで、だから死ぬことほど悲しいことはないと述べた。悲しいものは悲しいのであり、その現実をそのまま受け入れるべきだと説いたのだ。
【日本初の心霊研究家】の続きを読む

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