マックス都市伝説


カテゴリ:幕末の都市伝説

河原町三条のあたりは京都でも有数の繁華街で、飲み屋も多い。

夜、この辺りで飲んでいると、なぜか日本の未来を熱心に語り始め、さらにはだんだんと高知弁になってくる人がいる。「日本を何とかせにゃいかんゼヨ!」などと言い出すのである。ちょっと東国原元宮崎県知事みたいな言い回しであるのが恥ずかしい。そして、こういう人はまず「坂本龍馬の霊」が取り憑いたといっていいのだそうだ。

そう、奇しくも河原町三条のあたりで幕末の志士坂本龍馬は暗殺されたのである。 【坂本龍馬の亡霊】の続きを読む

歴史ドラマでは、便宜上全ての人物が標準語を使って話をしているのだが、もちろんこれはフィクションで、且つ視聴者の混乱を避けるための処置である。
実際には、有名な坂本龍馬に西郷隆盛などは、地元の方言を死ぬまで使い続けていたし、標準語に直そうとしたことはなかったのだという。当時はテレビもラジオも無いから、方言はもっときつかったと言われている。

ある時、津軽の大名と薩摩の大名が江戸城中で話し合うことになったが、互いの言葉がさっぱり分からず、思案の果てにとうとう筆談したという笑い話もある。
【幕末当時の方言問題】の続きを読む

明治に入り国内を走るようになった蒸気機関車。しかし、その蒸気機関車にまつわるこんな話がある。

鉄道が普及したばかりの明治時代。夜に汽車が線路を走っていると怪現象が起きるというウワサが、各地でまことしやかに流れていた。それは、走っている汽車の前方から、同じレールを対抗してこちらへ向かってくる偽汽車が出没するというものだ。当然、ひとつの線路上を両方向から汽車が走ってくればいずれは衝突してしまう。そのため、機関士たちはみな衝突を恐れて急ブレーキを掛け汽車を停止させていたのだが、列車が停止すると偽汽車は忽然と姿を消してしまうのだ。あまりにも不思議な現象に機関士たちは首を傾げるばかりだった。
【偽汽車】の続きを読む

今でこそ多くの人に愛されているチョコレート。しかし、出まわりはじめの頃には実はこのチョコレートに驚くようなウワサがあった。

日本人で一番初めにチョコレートを口にしたと言われているのは、伊達政宗の密命で1617年にスペインへ出向いた支倉常長ら。その後、1873年にフランスへ行った岩倉全権大使団らがリヨンのチョコレート工場で口にし、1877年には東京で発売されている。実に、初めて日本人が口にしてから250年以上の永い時を経て国内で販売されたチョコレートは「千代古齢糖」の商品名だったというが、実は中に「牛の血」が混ざっていると言われたことから中々受け入れられなかったのだ。
【チョコレート】の続きを読む

我々人類に警鐘を与える、見張っている、調査しているなどなど、様々なことが言われているUFOや異星人の話。しかし、このUFOの存在が1825年に既に日本で言われていたことをご存知だろうか。

1825年に発行された奇談・怪談を集めた兎園小説の一編『虚舟の蛮女』。
【虚舟の蛮女】の続きを読む

1867年。京都近江屋にて、幕末の志士海援隊隊長の坂本龍馬は、押しかけた刺客に頭部をはじめとする3ヶ所を斬りつけられ暗殺された。その時、龍馬とともに襲われた陸援隊隊長 中岡慎太郎は、腹を刺されたが即死せず、2日後に死んだ。
瀕死の慎太郎が語った内容により、龍馬の最期の言葉や刺客の訛り口調などが後世に伝えられることとなった。
【龍馬暗殺の新説】の続きを読む

「火事と喧嘩は江戸の花」と言われたほど大火事が多かった江戸。中でも「江戸三大大火」とも呼ばれる「明暦の大火」にまつわる謎がある。

1657年1月18・19日の両日で三箇所から出火し、3万〜10万人の死者をだした同火災は本妙寺が火元であると言われているが、実は、その影には女の念があったとも言われているのだ。

とある少女が本妙寺で見かけた一人の小姓に恋をした。 【振袖火事】の続きを読む

伊能忠敬の名前を知らぬ日本人はおるまい。幕末において、弟子たちを引き連れてかなりの広範囲に渡る測量を行い、初めて日本地図を完成させた大人物である。
彼らの手によって完成された地図は、現在の地図に比べてもほとんど差異がなく、伊能の根気と正確な測量技術には多くの人々が驚かされた。さて、この地図には現代の地図と比較した場合、ある違いが見受けられる。

現時点で存在が確認されていない島が記されているのだ。その名を霧雨という。伊能の地図をつぶさに確認すると、霧雨という島はたしかに確認できるのだが、現実にはこの島の存在は認められていない。非常に正確な測量をしていたはずの伊能が、このようなミスをするとは考えられない。

それに、島の名前でありながら霧雨という名称もどこか浮世離れしているのも気にかかる。 【霧雨島】の続きを読む

1960年に大映からデビューし、その都会的でニヒルな美貌で瞬く間に銀幕のスターにのし上がった大女優江波杏子。母・江波和子は戦前に東宝で活躍した映画女優である。

幼い頃に亡くなった母の仕事を継ぎたい一心で中学生の頃から女優を志し、1959年に大映に入社。ニューフェイスのオーディション時、まだ16歳の高校生だった彼女は年齢を1歳上にサバを読み、母親が女優だったことは言わなかったのだという。
【江波杏子の曾祖父】の続きを読む

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