北朝鮮東部に位置する咸州郡。

以前、この広場で行われた刑事被告人を裁く公開裁判の潜入映像が日本中に激震を与えた。

その2ヵ月後には、裁判によって死刑となった人物に執行された公開処刑の様子まで、生々しく伝えられた。

公開処刑場と集められた付近の住民が川を挟んで対峙する中、刑が執行された。

咸州郡で暮らしていた、20代の脱北者は17歳の時、同じ川原で公開処刑を目の当たりにしたという。

「各人民班に公開処刑を見に行けと指示があるので、みんな行くのです。罪を犯してはならないという気持ちになります。自分もいつああなるか分らないから」

公開処刑は北朝鮮で特殊な出来事ではない。

90年代後半、北朝鮮が直面した食糧危機は無常にも公開処刑の乱発に結びついていた。

2000年に脱北した公開処刑の目撃者は「空腹のため農場でとうもろこしを盗むとか通信線や機関車の制御に使う銅板を盗んで売る人がいました。そういう人たちを社会主義制度を破壊する暗躍分子だとして大々的に殺したのです」と話す。

その後、脱北者の証言などで公開処刑の実態が明らかになり、国際社会から人権問題として取り上げられるようになったが、北朝鮮は、この公開処刑の問題でも国際社会からの非難に背を向け、「一をたたいて数百、数千の群集を教養し覚醒させる上で最も良い遵法教養形式のひとつ」と定義している。

体制を動揺させないために、人民に恐怖を植え付ける手段。公開裁判と公開処刑は、現在の北朝鮮で機能し続けているのだ。