伊能忠敬の名前を知らぬ日本人はおるまい。幕末において、弟子たちを引き連れてかなりの広範囲に渡る測量を行い、初めて日本地図を完成させた大人物である。
彼らの手によって完成された地図は、現在の地図に比べてもほとんど差異がなく、伊能の根気と正確な測量技術には多くの人々が驚かされた。さて、この地図には現代の地図と比較した場合、ある違いが見受けられる。

現時点で存在が確認されていない島が記されているのだ。その名を霧雨という。伊能の地図をつぶさに確認すると、霧雨という島はたしかに確認できるのだが、現実にはこの島の存在は認められていない。非常に正確な測量をしていたはずの伊能が、このようなミスをするとは考えられない。

それに、島の名前でありながら霧雨という名称もどこか浮世離れしているのも気にかかる。


そもそも霧雨とは霧のように細かく降る雨のことを指す。もしかすると当時、この地域には恒常的に霧雨が降っていたため、そう記していたのではないだろうか。描かれているものは島ではなく、雨雲だったのかもしれない。

他にも、可能性としてはそもそも島など存在していなかったとも考えられる。測量の依頼者はあの徳川幕府である。徳川と言えば埋蔵金。

今でも日本中を掘り返しているが、依然として発見には至っていない。しかし、私たちは何故か、埋蔵金が陸地に埋められていると思い込んでいる節がある。発想などいかようにでもなるので、当時将軍が海に隠すと言えば、それに従うこともあっただろう。そして伊能には測量の傍ら、埋蔵金を隠すに相応しい海域を探すように要請していたとも考えられないだろうか。

これは完全に推測に過ぎない。だがしかし、もし埋蔵金が無くても、霧雨の描かれている地点には何かを隠している位のことはあっていいのではないだろうか。