アントニオ猪木を知らない日本人は居ないだろう。強烈な個性と言動で、プロレスファンのみならず、多くの国民に愛されている偉大なレスラーである。
このアントニオ猪木は、若い頃自宅でライオンを放し飼いにしていたということを知らない猪木ファンはそう多くない。

常人ならライオンを飼おうなどとは絶対に思わない。当の猪木本人も、人間は絶対にライオンには勝てないと知っていた。にも関わらず猪木はライオンと生活したのである。

それもマンションで。

実際に一緒に暮らしていると、それはもう毎日が生傷の耐えないものだったそうである。

現に猪木はライオンについてこう語っている。

「とにかく爪が凄いんです。あれでバーンと叩かれたらば、顔の半分は飛んでいってしまうでしょう。」

それなのに一緒の空間で過ごす猪木とは一体…。

実は、猪木の人生は苦難の連続であった。同時期にデビューしたジャイアント馬場にばかりスポットの当たっていた若手時代。やっと独り立ちする頃には事業が失敗し、莫大な借金が残ってしまった壮年時代。ここにきて猪木は自殺も頭を掠めていたという。そして、どうせ死ぬならライオンとの試合を望んでいたのだと回顧している。ところが、そのうちどうやったらライオンに勝てるかということしか考えられなくなり、やがて生きることへの執着に気がついてしまったのだという。

まさに猪木にとってライオンとは、自身の生命の炎を滾らせた生き物なのである。だからと言ってペットにしようなどとは、普通は思いつかないのだが…。

新日本プロレスのロゴマークがライオンを模しているのは、猪木の思いを象徴している確固たる理由に他ならない。